運営団体について
About us
信飛トレイルは、トレイル沿線のコミュニティを再構築するとともに、信州・飛騨(飛騨山脈)が産んだ自然・文化・歴史を通して、自己変革、自己実現、人間社会の在り方の考察を促します、そのための挑戦を私たちは続けていきます。
古来より、信濃と飛騨の人々は、両地域を隔てる高い峰々を跨ぐ峠を越えて、道を作り交流し、ひとつの文化圏を形成していました。
火山活動によって形成された山々が聳え立つ飛騨山脈(通称『北アルプス』)。そこに降り注いだ雨は山肌を伝い、徐々に集まり清流となって山脈の東西に流れ落ちます。渓流のそばには集落がいくつも生まれ、広大な飛騨山脈をまたぐ里山文化を形成するに至りました。山脈の東西に位置する村々が交流する道も次第に確立し、信濃地方から飛騨地方を結ぶ鎌倉街道や飛騨新道が、2000メートルを越える飛騨山脈の鞍部を越えて行きます。徳本峠、中尾峠、安房峠、野麦峠、平湯峠など、飛騨山脈を挟んだ広大な地域の人とモノの移動に使われ、交通網の礎として機能していました。明治初期には、飛騨山脈を中心に、南信から飛騨地方、中津川地域は「筑摩県」となるほどの、一つの文化圏として見做されたほどです。
この街道と峠みちは交通網のみならず、日本の登山史においても重要な役割を担ってきました。槍ヶ岳を開山した播隆上人は現在の松本から飛騨地方までの道のりを進み、『日本アルプス』と命名したウィリアム=ガウランドをはじめ、日本に近代登山をもたらしたウォルター=ウェストンは高山から峠を越えて上高地に入り、徳本峠を経て松本まで道中の多くで歩き旅をしています。 近年では、車社会の発展やトンネルの開通により、徐々に峠を歩いて越える峠道は廃れ、交通の要所であった峠に至る集落は人もまばらななり、広大な信濃–飛騨の中心地域は細分化され、松本市や高山市などの大きな市街地に吸収され、周辺地域となっていきました。 現在『北アルプス』と称される飛騨山脈は、山登りを楽しむ目的地として愛され、北アルプスの東の玄関口の「上高地」には多くの来訪者が国内外から訪れます。しかし、滞在は一部の山岳エリアにとどまり、飛騨山脈が生み出した広域の風土を楽しむには至っていません。 飛騨山脈へと降り注いだ雨は分水嶺を境に東西に流れ出します。東は梓川を経て松本平へと辿ります。西には、丹生川(小八賀川)は高山盆地へと流れ込みます。二つの街は飛騨山脈が産んだ双子の街と呼べるかもしれません。 その二つの街を、古来の街道と同じように、一本のトレイルで結び、沿線の人々と来訪者が交流することによって、これまでの山登りでは味わえない、豊かな自然風土を肌で感じ、長い距離を歩く中で足元から自然、生き物の暮らしを捉え、新たな気づきや自己発見を促し、今を踏まえてより良い社会を作るため、そして美しい自然環境を子どもたちに残すために、ここに信飛トレイルを皆さんで一緒に作って行きたいと思います。 以上の理念を実現するために、信飛トレイルは以下の憲章を掲げ、守り、理念の実現を目指します。
・自然への畏敬の念を持ち、自然の恵に感謝します
・古道を活かし、歴史と文化を未来に繋ぎます
・北アルプスの火山や湧き出る水、大地の恵を感じる道とします
・歩く中で新たな発見、自己探求を促す道とします
・地域住民とハイカーに敬意を払い、共に助け合います
・トレイルコミュニティーを作り、持続可能なトレイルの維持・保全を行います